日本の香木の中でも一番知名度があるものと言えば、蘭奢待(らんじゃたい)と呼ばれる正倉院に納められている香木になります。
最近は香りが再現されたと話題になっていて、知っている人も多いのではないでしょうか。
この記事では「再現された香りが本当に正しいのか?」、私が再現された香りを聞いて疑問に感じた点や、私の冗談交じりの推理も含めて書きましたので、楽しく読んでもらえたらと思います。
「蘭奢待とは一体なに?」という、蘭奢待を知らない方のためにも蘭奢待の歴史や匂い、どんな香木なのか、今までに公開されている情報について見ていきましょう。
■蘭奢待とは
– 蘭奢待(らんじゃたい)は、奈良県・東大寺正倉院に保管されている日本最大の香木。
– 正式名称は「黄熟香(おうじゅくこう)」。
– 東南アジア原産の沈香の一種。
ただ、厳密な産地やいつ日本に輸入されてかは不明。
2000年3月の宮内庁の化学調査ではラオス中部からベトナムにかけての山岳地帯と推定。
– 名称「蘭奢待」には「東大寺」の文字が隠されているとされる。
– 足利義満の時代(1380年代)から「蘭奢待」と呼ばれるようになった。
1193年の東大寺の記録に初めて「黄熟香」記載が見受けられるが蘭奢待を指すか不明。
蘭奢待は聖武天皇のゆかりの品ではなく、正倉院が出来た以降で納められた可能性が高く、黄熟香が正式名称とされているが、蘭奢待の名前が付いた後に黄熟香とも呼ばれるようになった可能性もある(正しい資料が無いため不明)。
・サイズと特徴
– 長さ:約1.5メートル
– 最大直径:37.8センチ
– 重量:11.6キログラム
– 香木としては極めて巨大で希少。
・香道の書物の記載
– 五味全てが感じられる
– 聞香での香りについて(「古香微説」1783年)
「初めの聞きは杏仁である」
「この五味が出るを一返として九度まで感じられる」
これは十返法しと言い、一度聞いてからその返しを残り9回聞けるということ
蘭奢待のみの香道での聞き方で、炭団の高さを調整しながら繰り返し聞く
・ 歴史的背景と権力者との関係
– 「天下第一の名香」と称され、古代日本の文化・歴史の象徴。
– 権力者にとってステータスシンボルとされていた。
– 手柄のあった者に対し、蘭奢待の一部を切り取って与える慣習があった。
足利義政、織田信長、明治天皇などが実際に切り取った跡が残されている。
切り取られた箇所には付箋が貼られている。
特に織田信長は、蘭奢待を焚くことで天下人としての地位を誇示した。
・科学的調査と香りの成分
– 2024年10月ごろ、正倉院事務所による科学的調査が実施された。
– 年代測定:786~875年頃まで木が生きていた。[米田 穣(東京大学総合研究博物館 教授)]
– 樹種特定:脱落片を放射光施設 SPring8により内部構造をスキャンし、アキラリア属の木 (沈香)であることが分かった。
– 香りがある樹脂は表面の箇所で内側の部分は木質(ただの木)。
蘭奢待を覆う10~20ミクロンの層(樹脂の下にある)があり、樹木由来のものではない。塗料のようにも思える。[髙部 圭司(京都大学 名誉教授)]
– MS(GC/MS)、人間の鼻(GC/O)による分析を実施。[菅原 俊二(香料会社 研究員)、長澤 徹哉(調香師)]
約300~400種類の香り成分が含まれていることが判明。
170℃で熱した香りでの分析。
anisaldehydeやacetoanisole、dihydrocoumarin、anisyl acetate、coumarinなどのアニス系の杏仁に含まれる香りが5種類検出された。
特に「ラブダナム」という甘い香りが特徴的で、3-phenylpropionic acidという成分が蘭奢待の独特な香りを形成していると考えられている。
蘭奢待以外の沈香を15点分析したが、他の沈香では微量に検出されただけ。
・ 現代における評価
その希少性から「幻の名香」とも呼ばれる。
古代から現代に至るまで、多くの人々を魅了し続けている。
・その他
– 紅塵香(こうじんこう)
蘭奢待と同様に正倉院に納められている沈香。
正式名称は「全浅香(ぜんせんこう)」。
長さ:105.5センチ 重量:16.65㎏
利義政が蘭奢待を截香した際、「両種の御香同じく然り」と記録があり、全浅香も切り取られた可能性がある。
織田信長も蘭奢待と全浅香の截香を申し入れたが、全浅香は断られている。
-黄熟香と全浅香について
黄熟香と浅香という言葉は、様々な使われ方をしているが、主に中国で沈香に対して使われる言葉であり、水に沈めた時の状態を示す。
水に沈む物を沈水香、水の中で漂うものを浅香、浮くものを黄熟香としている。
※書物によっては黄熟香は産地を示す場合もあったり、近年では香道での寸聞多羅で扱われている沈香のゴニスティルス属のものを黄熟香と呼んだりもします。
蘭奢待についてどのような物か分かったところで、最新の調査と私の意見を含めて、蘭奢待の香りの謎について迫って行きたいと思います。
最新の2024年の調査により、宮内庁正倉院事務所によるプロジェクトで「蘭奢待」の香りが再現され、展示会場『正倉院 THE SHOW―感じる。いま、ここにある奇跡―』で公開されました(2025年)。
今回、蘭奢待の香りを再現したのは高砂香料工業の長澤 徹哉(調香師)さんで、香りの要素を分析したのは同じ会社の菅原 俊二(香料会社 研究員)さんです。再現にはラブダナムをキーとして20種類ぐらいの香りを調整しているらしいです。
私も実際に大阪歴史博物館に伺い、香りを聞いてみました。
私が感じた香りの印象は、甘く爽やかでパウダリーな乾いた甘さが特徴的だなという印象でした。
長年沈香の香りを聞いてきましたが、沈香でこの香りは初めての香りです。
蘭奢待の産地とされるベトナムからラオスにかけての山岳部で採れる上質な沈香(蘭奢待よりも年数が立っていると思われるもの)ですらラブダナムの香りを感じる沈香に出会ったことがありません。
自分の経験からは、「本当に蘭奢待はこんな香りなのか?」という疑問が浮かびました。
ただ、沈香には沈界と呼ばれるスイカなどの瓜の瑞々しい香りがするものや、沈梗と呼ばれるバランスの取れたフルーティーな香り、マナガのようなスゥ―っと突き抜けてピリピリとした妖艶な香り、伽羅のような濃厚な言葉では表せない香りなど、他では感じられない様々な香りがあります。
そのため、「自分の知らない沈香の香りなのでは?」という考えも浮かびました。
疑問を払拭するために、2024年の調査で公開されている情報から気になる点を挙げ考察し、蘭奢待の香りの謎に深く迫ってみました。
■2024年の調査による気になる点
1.前回の2000年の宮内庁の調査では、沈香の主な香りの成分であるSesquiterpene類とChromone類について触れているが、2024年の調査では触れず、香りの再現には使われていないように見受けれれる。
2.170℃で熱した香りでの人間の臭覚での香りの再現は、沈香の香りの再現としては不十分の可能性があり、また脱落片のみでの香りの調査は限界がある。
3.複数人で香りの確認を行って再現していない。
4.表面についた(塗られた)ものは何か解明されておらず、今回の香りの調査ではこの表面についたものの香りも一緒に分析している可能性がある。
以上のような公開されている情報からは調査として不十分に思える点がいくつかあります。
気になる点についてもう少し掘り下げて見てみます。
1については、沈香の香りで主になる二つの成分であり、殆どの沈香の香りでこの香りの筋を感じることができるが、今回の再現の香りには感じ取れなかった。
2については、沈香は温度によって出る香りが違う場合があり、110℃で出る香りもあれば140℃で出る香りもある。GCでの検査では温度上昇と共に香りの成分を機械が読み取れるかもしれないが、人間の鼻で感じとった香りが170℃での香りのみとなった可能性がある。
また、脱落片ということもあり、沈香を複数個所切り取って焚いていない点も沈香を聞くうえで重要になります。
沈香は切り取る箇所によって香りの違いがあることがあります。
極端な例を取れば、表面は伽羅の香りが感じられるが裏面が羅国の香りがする香木が極まれに存在します。
3については、人間には特異的無嗅覚症という症状を持つ人がいます。どれだけ鼻が良いとされるベテランの調香師であっても、世界にあるすべての香りで香りを感じ取れるかチェックしているわけではないので、未知の香りであれば全てを聞き取れていない可能性があります。特に、沈香の場合、長年沈香を聞くことで細部まで香りの違いなど認識できる範囲が広がることがあります。
4については、塗られた物のみでの香りの検査や、塗られた物を取り除いた樹脂部分のみの検査をすることにより、元々の沈香自体の香りが見えてくると思われます。
上記の点から、蘭奢待の香りの再現は不十分なのではと考えると、一つの推測が浮かびました。
ただ、宮内庁からの正式な調査報告書が現時点(2025/10/17)では出ていないため、正しい推測とも言い切れないのは否めませんが・・・
■蘭奢待の香りの謎を推測
蘭奢待は中国から日本にきました。それ以前に蘭奢待が現地で採られて売られる時に、見た目や香りを良くするために、表面に植物由来ではない何かを塗った後に、更にラブダナムなどの樹脂を混ぜた物を表面に塗ったのではと私は推測しました。
なぜなら、植物由来じゃない層が蘭奢待の外側の樹脂の下にある(2024年の調査で分かったこと)ということは、その樹脂は沈香の樹脂ではない可能性が高いのではないかとも推測できるからです。
また、ラブダナムの樹脂は古来より使用され、粘着性があり真っ黒であり、ウッディーでお香を感じるような香りだからです。
なので、沈香の見た目を良く見せ、香りを引き立てるために塗るものとしては良い気がします。
現在の沈香でも違う樹脂を浸み込ませたりして贋作を作ったり、重さを増やしたり、香りを良くしたりと、値段を上げるために偽装する方達もいるので、当時も同じように良く見せるために加工を施した可能性は十分に有りえると言えます。
沈香を良く知る人から見れば、蘭奢待は質が良くない沈香に見え、香りもそこまで期待できない見た目です。
また違う推測をすると、ラブダナムの樹脂やそれ以外の塗料や防腐剤などが蘭奢待の側にあり、付着した可能性も考えられます。特に木質が多い沈香は周りの香りを吸い取ります。上質な樹脂分が多い沈香は表面を掃除すれば香りは取れますが、木質が多い場合はそうはいきません。蘭奢待も木質部が多く、近くにラブダナムなどの香料があれば香りを吸い取り、蘭奢待からラブダナムの香りが感じられるかもしれません。
そういった観点から、再現された香りは蘭奢待本来の沈香の香りとは違うのではないかと推測しました。
これは、あくまで推測であり正しいものではありません。
けして、現在の蘭奢待の香りの再現が間違いという訳ではなく、たとえ表面に何か塗られたとしても、それを含んで感じられる香りが蘭奢待の香りであり、歴史的にも素晴らしい国宝なのだと思います。
参考文献
・山田 憲太郎(1979)「 スパイスの歴史 薬味から香辛料へ」法政大学出版局
・米田 該典 (2000)「正倉院紀要 第22号 全浅香、黄熟香の科学調査」宮内庁
・松原睦(2012)「香の文化史 日本における沈香需要の歴史」雄山閣
・山田 眞裕(2019)「香木三昧 大自然の叡智にあそぶ」淡交社
・翠川文子, 山根京, 田中美由伎, 松原睦(2010)「古香徴説・古香徴説別集 : 蘭奢待・法隆寺沈水香と六十一種名香の書」香書に親しむ会
・片岡直樹(2020)「正倉院宝物の輝き -第 13 章 黄熟香と全浅香-」

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